指導現場に立つ立場から、この作品を見直して感じたこと
名古屋でアーチェリークラブ「トクソフィライツ」を運営し、
日々、小学生から社会人まで幅広い世代のアーチャーを指導しています。
フォームづくりやスコア管理だけでなく、
「結果とどう向き合うか」「自分をどう評価するか」という相談を受けることも少なくありません。
そんな日常の中で、久しぶりに観た『千と千尋の神隠し』は、
現代社会とスポーツ指導の本質を重ねて考えさせてくれる作品でした。
冒頭の無人屋台が象徴する「管理されすぎた社会」
物語の冒頭に登場する、人の気配がない屋台の場面。
この不自然さは、便利さと引き換えに人間らしさが失われていく社会構造を象徴しているように感じます。
管理や効率が最優先される環境では、
個人の判断や責任は次第に薄れていきます。
名前を奪われる設定が示す主体性の喪失
作中では、登場人物が名前を奪われてしまいます。
これは、人がシステムの中で「個人」ではなく「番号」のように扱われていくことの比喩とも読み取れます。
指導現場でも、スコアだけを気にして射型が崩れてしまう選手を何度も見てきました。
数字に縛られることで、本来の成長を見失ってしまうのです。
契約と効率至上主義が生む思考停止
物語に登場する契約制度は、安定と引き換えに自由を奪う仕組みです。
この構造は、現代の組織や教育現場にも重なります。
言われたことだけをこなす状態では、
スポーツでも仕事でも、本当の意味での成長は生まれません。
映画から見えてきた、トクソフィライツの在り方
こうした考察を通じて、最終的に行き着いたのは
「人をどう評価するか」という問いでした。
トクソフィライツでは、結果や順位よりも、
その人が何を考え、どう努力しているかを重視しています。
人間らしさを取り戻すというテーマと成長の関係
『千と千尋の神隠し』は、管理社会の中で失われた人間性を取り戻す物語でもあります。
主体性を持って行動できる選手ほど、
長期的に安定して成長していく傾向があります。
まとめ|この考え方は、すべての指導の原点である
管理社会が生む主体性の低下
数値評価による自己否定
契約構造が奪う思考の自由
それに抗う「考える力」の重要性
こうした視点は、トクソフィライツの指導方針の原点です。
映画を通して社会を考えることは、
そのまま、自分自身の成長と向き合うことにつながります。
次回予告|第2回では「子どもと教育の視点」から考える
次回は、
『千と千尋』を通して「子どもをどう育てるか」「親としてどう関わるか」という視点から、
教育とスポーツ指導の関係について掘り下げていきます。









