生きたかった人がいた。生きていてほしかった人がいた。
生きたかった人がいた。
生きていてほしかった人がいた。
「流れる雲よ」名古屋公演のメンバーで参加した、鹿屋・知覧を巡る研修で、私はその事実と向き合った。
鹿屋航空基地史料館。
ホタル館富屋食堂。
知覧特攻平和会館。
そして、鳥濱トメさんの想いを語り継ぐ鳥濱拳大さんの講話。
そこで私が見たものは、「特攻隊員」という言葉だけでは括れない、ひとりひとりの人生だった。
特攻を讃えたいわけではない。
戦争を肯定したいわけでもない。
若者が命を落としたことを、美しい物語として語りたいわけでもない。
ただ、特攻を「無駄死にだった」の一言で片付けることを、私はどうしても受け入れられなかった。
軍部の暴走によって太平洋戦争が始まった、と語られることがある。
そうだったのかもしれない。
そうではなかったのかもしれない。
今を生きる私には、当時の全てを断定することはできない。
ただ、そこで命を散らした人たちが何を思い、何を残し、誰に会いたかったのか。
そこから目を背けることは、私にはできなかった。
なぜなら、そこには本人と残された人たち、それぞれの人生があったからだ。
志願した人がいた。
葛藤した人がいた。
誉れと受け止めた人もいただろう。
そうではなかった人もいただろう。
母に会いたい。
妻に会いたい。
子に会いたい。
そう願った人がいた。
そして、生きていたかった人と、生きていてほしいと願われた人がいた。
- 研修の経緯|流れる雲よのメンバーと鹿児島へ
- 特攻を美化したいわけではない
- 1日目・鹿屋|海軍特攻との出会い
- 1日目・ホタル館|兵士が人として見えた場所
- 1日目・懇親会|言葉になる前の重さ
- 1日目・遺書ワーク|自分が本当に大切にしているもの
- 涙の理由|感謝と未練が、自分の中から溢れた
- 2日目・知覧特攻平和会館|遺書を書いた後に見たもの
- 2日目・鳥濱拳大さんの講話|語り継ぐという責任
- 2日目・振り返り|自分の使命に戻ってきた
- 特攻をどう受け止めるか|無駄死にという一言で終わらせたくない
- 学ぶ人を増やしたい|知らないまま語りたくない
- トクソフィライツとは|なぜアーチェリークラブのブログで書くのか
- 命を使い切るという結論|今の日本を守るとは何か
- 心に火がついた人と、一緒に競技をしたい
研修の経緯|流れる雲よのメンバーと鹿児島へ
今回、私は舞台「流れる雲よ」名古屋公演のメンバーとともに、鹿児島へ向かった。
1日目には、鹿屋航空基地史料館、ホタル館富屋食堂、三角兵舎、海軍航空隊串良基地跡の地下壕第一電信室を巡った。
その後、懇親会と遺書ワークがあった。
2日目には、鳥濱トメさんが建立した観音堂、知覧特攻平和会館を訪れ、鳥濱トメさんの想いを語り継ぐ鳥濱拳大さんの講話を聞き、最後に振り返りを行った。
この研修では、多くの場所で、多くの事実と向き合った。
しかしこの記事では、訪れた場所を一つずつ解説するのではなく、私自身の中に強く残った出来事と、そこで生まれた感情を中心に残しておきたい。
ただ史料を見るだけの研修ではなかった。
自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の心で受け止める時間だった。
そして、その中で私たちには出発の1週間前から一つのテーマが与えられた。
「日曜日の朝、あなたは特攻に行きます」
これは歴史を外側から眺めるものではなかった。
自分がその時代にいたら。
大切な人に本当のことを十分に伝えられないまま飛ぶとしたら。
家族に本音を残しきれないまま命を使うとしたら。
もう誰にも会えないとしたら。
その立場に、自分自身を置くものだった。
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特攻を美化したいわけではない
先に、はっきり書いておきたい。
私は特攻を美化したいわけではない。
戦争を肯定したいわけでもない。
若者が命を落としたことを、良かったことのように語りたいわけでもない。
戦争は、多くの命を奪った。
本来なら生きられた人生があった。
帰ってくるはずだった息子がいた。
一緒に食卓を囲むはずだった家族がいた。
続くはずだった未来があった。
だから、軽々しく語っていいものではない。
ただ同時に、特攻隊員たちを「かわいそうだった」「無駄死にだった」「軍部の暴走だった」という言葉だけで終わらせてしまったら、一人ひとりの顔が見えなくなる。
私は、特攻を作戦として評価したいのではない。
その時代の中で、自分の命を懸けることで誰かを守れると信じた人たちが、何を思い、何を残し、何を無念に感じたのか。
そこに向き合いたい。
彼らは、ただの犠牲者という記号ではない。
ただの英雄という記号でもない。
ただの歴史上の存在でもない。
生きていた人たちだった。
そこには本人の人生があり、また、その人に生きていてほしかった人たちの人生もあった。
私は、そこを見失いたくない。
1日目・鹿屋|海軍特攻との出会い
最初に訪れたのは、鹿屋航空基地史料館だった。
鹿屋では、主に海軍航空隊の歴史に触れた。
展示を見ながら、最初に思ったのは「若い」ということだった。
研修の中で、海軍特攻には16歳という若さで命と向き合った人もいたと聞いた。
16歳。
今の自分が指導している子どもたちの、ほんの少し先にいる年齢だった。
そこに写っている人たちは、遠い昔の知らない誰かではなかった。
教科書の中の人でもなかった。
名前のない歴史の一部でもなかった。
もし時代が違えば、競技をしていたかもしれない。
友人と笑っていたかもしれない。
母に心配をかけていたかもしれない。
誰かに恋をしていたかもしれない。
将来に悩んでいたかもしれない。
そう思った瞬間、「特攻隊員」という枠が少しずつ崩れていった。
そこにいたのは、特攻隊員という肩書きではなく、人だった。
ひとりの若者だった。
誰かの息子だった。
誰かの大切な人だった。
鹿屋で触れたのは、主に海軍の特攻だった。
この後、知覧では陸軍の特攻について学ぶことになる。
同じ「特攻」という言葉で語られることが多いが、陸軍と海軍では組織も文化も、作戦に至る背景も異なる。
だからこそ、「特攻隊員はこうだった」と簡単に一つの言葉でまとめることはできない。
ただ、その違いを越えて、どちらにも一人ひとりの人生があった。

1日目・ホタル館|兵士が人として見えた場所
次に訪れたホタル館富屋食堂では、その感覚がさらに強くなった。
鳥濱トメさん。
知覧で特攻隊員たちを支え、「特攻の母」と呼ばれた方。
特攻は機密を伴う作戦だった。
家族に、自分がどこの基地にいるのか。
どんな作戦に従事しているのか。
いつ飛ぶのか。
それを自由に伝えることはできなかった。
遺書にも検閲があった。
だから、公式に残された言葉だけでは見えない本音がある。
怖さもあっただろう。
寂しさもあっただろう。
母に会いたい気持ちもあっただろう。
帰りたいという気持ちもあっただろう。
その本音を受け止め、遺族に届ける役割を果たしたのが、鳥濱トメさんだった。
トメさんは、特攻隊員たちの本音を綴った手紙を遺族に届けた人でもある。
自分の資材を投げ打って、特攻に行く若者の居場所を作り、本音すら家族に伝えられない若者たちにとって、母のような存在となった。
ホタル館にあったのは、戦争の大きな話だけではなく、その時代を生きた若者たちの生の声だった。
お腹を空かせた若者がいた。
母のような存在を求めた若者がいた。
出撃前に、人としての温もりを求めた若者がいた。
国のため。
家族のため。
大義のため。
そういう言葉だけでは届かない場所に、彼らの姿があった。
誰かの息子だった。
誰かの兄だった。
誰かの弟だった。
誰かの友人だった。
そして、誰かに帰りを待たれていた人だった。
ホタル館で私は、特攻隊員を「兵士」としてだけ見ることができなくなった。
彼らは、若者だった。
母に甘えたかったかもしれない。
お腹いっぱいご飯を食べたかったかもしれない。
もう一度、家に帰りたかったかもしれない。
本当は、普通に生きたかったかもしれない。
そう思った。

1日目・懇親会|言葉になる前の重さ
鹿屋で海軍特攻に触れ、ホタル館で特攻隊員たちの人間としての姿に触れた。
その後、懇親会があった。
食事をしながら、参加者それぞれが感じたことを話した。
普段から仲良くしてくれているメンバーたちとの会話。
楽しくないわけがない。
一緒に食べる食事が美味しくないわけがない。
それでも、心のどこかには「日曜日の朝、自分は特攻に行く」という設定が残っていた。
仲間の話に共感し、頷き、そして笑い合う。
楽しい時間であるほど、終わりがあることを意識させられた。
特攻隊員という存在は、もう遠い歴史上の存在ではなくなっていた。
けれど、その人たちの人生を自分の人生として考えるところまでは、まだ行けていなかった。
その夜、遺書ワークがあった。
そこで私は、自分自身の命と向き合うことになった。

1日目・遺書ワーク|自分が本当に大切にしているもの
研修の中で与えられたテーマは、
「自分が特攻に出撃する」
というものだった。
特攻隊として遺書を残すこのワークは、ただ死を想像するためのものではなかった。
自分が本当に大切にしているものを認識する時間だった。
自分は、何に支えられてここまで来たのか。
誰に生かされてきたのか。
何を受け取ってきたのか。
何を返しきれていないのか。
そして、何を残したいのか。
その問いから逃げずに、自分の内側を見つめる時間だった。
その結果、自分の中に最初に浮かんできたものは、感謝だった。
悔しさでもなかった。
恐怖でもなかった。
名誉でもなかった。
結果でもなかった。
感謝だった。
ここまで育ててくれたこと。
信じてくれたこと。
アメリカに挑戦させてくれたこと。
失敗も遠回りも含めて、今の自分になるまで支えてくれたこと。
そして今、自分がアーチェリーを通して人を育てる立場に立てていること。
その全てが、当たり前ではなかった。
検閲を通った遺書にも、トメさんが密かに遺族へ届けた本音の手紙にも、母や妻に宛てたものが多くあった。
私も、明日の朝に飛ぶとしたら、と考えた時、自然と母への手紙になった。
それは、ただ母に会いたいという話ではない。
自分が受け取ってきたものの大きさを、最後の最後で思い知ったということだった。
同時に、強烈な未練もあった。
まだ伝えきれていない。
まだ返しきれていない。
まだ育てきれていない。
まだ自分の仕事をやり切れていない。
だからこそ、涙が出たのだと思う。
母・〇〇様。
親より先立つ不幸をお許しください。私は明日、特攻へ行きます。
以前より「何があっても親より先に死ぬな」と教えられてきましたが、今回その教えに背きます。
諸先輩方が我々の未来を守るために命をかけたことと同様に、私も次の世代が安心して自分の信念を貫き通すため、命をかけて日本を守ると決めました。
息子の未来を信じてアメリカまで送り出してくれたこと、心から感謝しております。
最後まで今の仕事をやり遂げられないことは無念ですが、私の想いを繋いでくれる人がいることを信じて止みません。
私のアーチェリーの道具などは、欲しい方に譲ってください。
もう一度一緒に食事をしたかった。
お身体をお大事に。
そう書いた。
書きながら、涙が止まらなかった。

涙の理由|感謝と未練が、自分の中から溢れた
私を一番苦しくさせたのは、死そのものではなかった。
感謝を伝えきれていないことだった。
大切な人に返しきれていないことだった。
自分の仕事をやり切れていないことだった。
次の世代に伝えきれていないことだった。
そして何より、自分にはまだ未練があるという事実だった。
もっと母と話したかった。
もっと感謝を伝えたかった。
もっと人を育てたかった。
もっと多くのことを残したかった。
もっと生きたかった。
でも、できない。
明日の朝には飛ぶから。
その設定を、頭ではなく身体で受け取ってしまった。
その時、初めて自分の中で言葉になった。
生きたかった人がいた。
生きていてほしかった人がいた。
それは、鹿屋とホタル館で触れた彼らのことでもあり、遺書を書いている時の私自身のことでもあった。
私はこの時、特攻隊員たちを「死に向かった人たち」としてではなく、「生きたかった人たち」として受け止めた。
そして、その人たちを待つ人がいた。
母がいた。
父がいた。
妻がいた。
子がいた。
兄弟がいた。
友人がいた。
恋人がいた。
帰りを待つ人がいた。
その人たちの想いが積み重なって、今の日本がある。
ならば、私たちは今を無駄にしていいはずがない。
命を捨てる必要はない。
けれど、命を燃やす必要はある。
一瞬一瞬を大切にすること。
会える人に会うこと。
感謝を伝えること。
やるべきことから逃げないこと。
自分に与えられた役割を果たすこと。
それが、私がこの遺書ワークで受け取ったものだった。
涙の理由は、母に会いたかったからだけではない。
感謝があった。
未練があった。
使命があった。
そして、命をどう使うのかという問いがあった。
2日目・知覧特攻平和会館|遺書を書いた後に見たもの
2日目、知覧特攻平和会館を訪れた。
前日に遺書を書いた後だったからこそ、展示の見え方は変わっていた。
そこにある手紙や言葉は、ただの資料ではなかった。
誰かが本当に残した最後の言葉だった。
母へ。
父へ。
兄弟へ。
家族へ。
大切な人へ。
その一つひとつが、前日の夜に自分が書いた遺書と重なった。
もちろん、時代も違う。
立場も違う。
背負っていたものも違う。
けれど、「会いたい」「伝えたい」「残したい」という感情は、決して遠いものではなかった。
知覧で私は、前日よりもさらに強く思った。
生きたかった人がいた。
生きていてほしかった人がいた。
そして、その事実を、ただ悲しい話として終わらせてはいけないと思った。
2日目・鳥濱拳大さんの講話|語り継ぐという責任
知覧特攻平和会館を訪れた後、鳥濱拳大さんの講話を聞いた。
鳥濱トメさんの想いを受け継ぎ、今も語り継いでいる方だ。
もちろん、私はトメさん本人に会ったわけではない。
けれど、鳥濱拳大さんの講話を通して、トメさんが何を見て、何を感じ、何を語り継ごうとしたのかに触れた。
そこで強く感じたのは、歴史は勝手には残らないということだった。
語る人がいる。
聞く人がいる。
受け取る人がいる。
そして、次に渡す人がいる。
そうやって初めて、想いは消えずに残っていく。
2日目・振り返り|自分の使命に戻ってきた
最後の振り返りで、私は自分自身に戻ってきた。
母に会いたいと思ったこと。
もっと感謝を伝えたいと思ったこと。
アーチェリーの仕事を最後までやり切れないことを無念に感じたこと。
子どもたちを守るために飛ぶ、と遺書に書いたこと。
それらが、少しずつ一つに繋がっていった。
私に残ったのは、母への感謝だった。
そして、トクソフィライツへの未練だった。
まだ伝えきれていない。
まだ育てきれていない。
まだ自分の役割を果たしきれていない。
その未練は、後ろ向きなものではなかった。
むしろ今を生きる理由になった。
特攻をどう受け止めるか|無駄死にという一言で終わらせたくない
だから私は、特攻を「無駄死にだった」の一言で終わらせたくない。
それは、戦略として正しかったかどうかという話ではない。
軍部に責任がなかったという話でもない。
戦争を肯定するという話でもない。
ただ、そこにいた人たちの想いを、後の時代を生きる私たちが雑に扱ってはいけないと思った。
覚悟を持って飛んだ人はいたと思う。
自ら志願した人もいただろう。
誉れと受け止めた人もいただろう。
国を守るのだと、自分の命の使い道をそこに見出した人もいただろう。
一方で、葛藤した人もいたと思う。
怖かった人もいたと思う。
本当は母に会いたかった人もいたと思う。
本当は帰りたかった人もいたと思う。
本当はもっと生きたかった人もいたと思う。
だから、簡単に一つの言葉でまとめてはいけない。
英雄だった。
それだけでも違う。
犠牲者だった。
それだけでも違う。
無駄死にだった。
それだけでは、あまりにも乱暴だと思った。
戦争の中で。
軍という組織の中で。
時代の空気の中で。
彼らは生きていた。
その中で悩み、選び、受け入れ、あるいは受け入れざるを得ず、飛び立っていった。
その事実を、後の時代に生きる私たちはどう受け止めるのか。
私は、彼らの人生を雑に扱いたくない。
「無駄だった」
その一言で、彼らの想いも、家族の涙も、残された人の人生も、なかったことのようにしてはいけないと思った。
学ぶ人を増やしたい|知らないまま語りたくない
事実を知ること。
まずは、そこからだと思う。
何を感じるかは人によって違っていい。
どう考えるかも人によって違っていい。
特攻について。
戦争について。
歴史について。
簡単に同じ答えを持つ必要はない。
ただ、知らないまま語ることはしたくない。
見ないまま判断することはしたくない。
聞かないまま、分かったつもりになることはしたくない。
だから私は、学ぶ人を増やしたいと思った。
鹿屋に行ってほしい。
ホタル館に行ってほしい。
知覧に行ってほしい。
鳥濱拳大さんの話を聞いてほしい。
そこで何を感じるかは、その人自身が決めればいい。
正解を持ち帰る必要はない。
けれど、きっと何かは残る。
誰に会いたいのか。
誰に感謝を伝えたいのか。
何を後悔するのか。
自分は何のために生きているのか。
自分の命を何に使うのか。
そういう問いが、心の奥に残る。
私は、その問いを持つ人が増えてほしい。
そして、自分の人生に火がつく人が増えてほしい。
トクソフィライツとは|なぜアーチェリークラブのブログで書くのか
私は、アーチェリーを教えている。
けれど、本当に伝えたいのは、弓の引き方だけではない。
今回の研修で、私は改めて思った。
アーチェリーは手段である。
人生を豊かにすること。
人として成長すること。
自分の命の使い方から逃げないこと。
そのための手段として、トクソフィライツがある。
だからこそ、私はこの経験をクラブのブログに書く。
競技の話だけをしたいわけではない。
点数の話だけをしたいわけでもない。
心に火がついた人と、一緒に競技をしたい。
そのために、この経験を言葉にして残したい。
命を使い切るという結論|今の日本を守るとは何か
今の日本を守るとは、何だろうか。
私は、命を捨てることではないと思う。
命を粗末にすることでもない。
命を使い切ることだと思う。
特攻隊員たちは、自分たちの命を懸けることで、本土決戦を避けられると信じていた。
自分たちが飛ぶことで、家族を守れる。
故郷を守れる。
日本を守れる。
そう信じて飛び立った人たちがいた。
後の時代に生きる私たちは、その作戦をどう評価するかを考えることができる。
けれど、その評価とは別に、彼らが何を守ろうとしたのかを受け止める必要があると思った。
彼らは、命を捨てたかったのではない。
守りたいものがあったのだと思う。
だからこそ、私は思う。
彼らが何を守ろうとしたのか。
何を残そうとしたのか。
その想いを、今を生きる私たちは無駄にしてはいけない。
生きたかった人がいた。
生きていてほしかった人がいた。
その事実を胸に置いた時、今日という一日は、ただの一日ではなくなる。
練習の一本も。
誰かとの会話も。
食事の時間も。
母に連絡することも。
ありがとうと伝えることも。
全部、当たり前ではなくなる。
命を使い切るとは、大きなことを成し遂げることだけではない。
目の前の一瞬を大切にすること。
大切な人を大切にすること。
自分の役割を果たすこと。
やるべきことから逃げないこと。
昨日より少しでも良い自分であろうとすること。
その積み重ねなのだと思う。
心に火がついた人と、一緒に競技をしたい
私は、心に火がついた人と一緒に競技をしたい。
ただ楽しいだけではなく。
ただ勝ちたいだけでもなく。
自分の命をどう使うかを考えながら、本気で今を生きる人と競技をしたい。
そのために、私はトクソフィライツを続ける。
そして、この記事を書いている。
特攻を讃えるためではない。
戦争を肯定するためでもない。
誰かに同じ考えを押しつけるためでもない。
ただ、知ってほしい。
そこには人生があった。
生きたかった人がいた。
生きていてほしかった人がいた。
そして今、私たちは生きている。
ならば、自分の命をどう使うのか。
その問いから、逃げてはいけない。
鹿屋で。
ホタル館で。
懇親会で。
遺書ワークで。
知覧で。
鳥濱拳大さんの講話で。
最後の振り返りで。
私は、戦争の話を聞いたのではなく、命の話を聞いたのだと思う。
生きたかった人がいた。
生きていてほしかった人がいた。
だから私は、今日を生きる。
そして、心に火がついた人と共に、競技をしていきたい。









